【ハウスオブザドラゴン】シーズン2最終話を見終えての感想。主にデイモンやアリセントのこと
『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』シーズン2を見終わったので感想を。
原作未読、設定などあまり調べていない、ゲースロの知識のみの人が主に7~8話を見て印象に残ったことを書いてます。
以下、シーズン2のネタバレあり。
とりあえず最終話を見たときの心境
シーズン2最終話の配信日である2024年8月5日、日経平均は4,451円の下落。私の持ち株はズタボロ(現物なので追証とかはない)。
そんな状態でこれからハウスオブザドラゴンのシーズン2の最終話を見る。
重要人物がたくさん死んだり衝撃展開になったりして私のメンタルはさらにズタボロになるんだろうなあと思っていたら…
誰も死なない!
戦闘シーンすらない!
一応タイランド・ラニスターの泥プロレスが戦闘に該当する、のか…?
全員集結でシーズン3に持ち越しとは想定外すぎた。
せめてレイナがドラゴンに乗るところまでは映せばよかったのにとは思った。誰もレイナの捜索してないの?
別人のようになったデイモン
シーズン2で一番印象に残ったのはデイモンだった。
ハレンホールでの数々の怪奇現象に「なにが起きているんだ…」と思いながら見ていたけど、最終話でデイモンは別人のようになっていた。
毎話見せられていた怪奇現象は、デイモンの黒歴史でもある。ヴィセーリスの亡くした息子、レーナ、ヘレイナの息子、レイニラ。
改めてデイモンのやってきたことを思い返すと、控えめに言ってひどい。兄ヴィセーリスが妻と息子を亡くした日に娼館で乾杯する、ドリフトマークに帰りたいという臨月の妻レーナを無視して死なせる、ずさんな下請け業者にエイモンドを殺せと依頼して罪なき赤子を死なせるetc。
河川地帯でもえらい嫌われようだったので、ドラマで描かれていないデイモンの悪行は大辞典1冊分くらいありそう。
アリスはデイモンのことを「運命を支配したがっていた」とマイルドに表現していたけど、死んだ母親への愛をこじらせたクソ野郎って言ってくれてもよかったよ。
とはいえ私も自分の過去を直視して改善するのが苦手なので、デイモンが己の悪や後悔に向き合って変わっていく様子にいたたまれなさと同時になんともいえない共感を抱いていて、今では「よくがんばった」と思っている(何様)。
デイモンはハレンホールで変わっていった。
人に助けを求めることを学び、人の話を聞くことを学び、人は自分の思い通りにならないことを学んだ。嫌なことがあると逃げてきたデイモンは、逃げなくなった。不愉快なことを言われても冷静に対応できるようになった。
王冠を得て何を成すかではなく、玉座そのものが目的だったデイモンは、河川地帯の諸侯や夢の中のヴィセーリスとのやり取りで王の負荷を思い知る。
王は常に難しい決断を迫られる。諸侯は忠誠を誓えど素直に言うことを聞くわけではない。力で服従させても愛で従わせてもダメ。諸侯はしたたかで自分たちの利益のために動く。ときに王は忠誠を誓う諸侯をより大きな目的のために切り捨てねばならない。
もうデイモンは王になりたいと思っていないだろうと、そんな感じがしていた。
そしてデイモン進化の決定打は、アリス(およびヘレイナ?)の手引きで見た8話のビジョン。
三つ目の鴉、これから起きる戦争、ホワイトウォーカー、デナーリス、鉄の玉座のレイニラ。
これらを見て、デイモンはレイニラが真の王だと認めレイニラに忠誠を誓う。
ビジョンによるデイモンの変化を見て思い出したのは、立花隆さんの『宇宙からの帰還』というノンフィクション作品。
アメリカの有人宇宙開発に携わった宇宙飛行士たちへの取材がまとめられた1983年の本で、宇宙体験が人に与えた内的インパクトが丁寧に書かれている。
宇宙から地球を見るという特異な体験をした宇宙飛行士は、精神に大きな影響を受け以前とは同じ自分ではいられなくなるのだそう。
広大な宇宙を前にしたら、人間とはちっぽけなもの。138億年前から存在する宇宙に比べたら、人間の一生など一瞬に過ぎない。
同じように、デイモンも長い歴史・物語の中では小さな駒に過ぎない。でも、デイモンが己の役目を果たせばドラゴンの一族は続いていく。そんな大きな決定的な運命に触れたことが、デイモンの世界観を変えたのかもしれない。
自由に生きたいアリセント
7話でアリセントが王都を出て湖に身を浸すシーンがあった。
キリスト教的には、水に入る儀式というのはキリストと共に古い自分が死に、キリストと共に復活して新しい命を生きることを表すそう。
そうだとしたら、生まれ変わったアリセントは何をするのだろう? と思っていたら、アリセントは自分の意志で自分の望みどおりに生きたいのだと8話で判明。
アリセントの望みとは、務めや陰謀や闘争から解放されて自由になり、人知れず死ぬこと。
今までアリセントは、課せられた義務を忠実に果たしてきた。父に尽くし、夫に尽くし、息子に尽くす。アリセントの意志も権利もそこにはなかった。
周りが戦争に突き進む中、王都で孤立したアリセントは、初めて自分のために生きて死ぬことを望むようになっていた。
アリセントが自由を手に入れる代償はないのだろうか。アリセントの数少ない自由(=愛人)の代償を払ったのはヘレイナだったし。
少なくともレイニラはエイゴンの首を切るつもりだから(エイモンドの処遇もあやしい)、アリセントが何も失わずに済むのは難しそう。
アリセントの命と自由と引き換えに生じる犠牲、それに伴って生じるであろうアリセントの罪悪感。こういったものを背負ってアリセントが真に自由に生きられるのかは疑問だけど、どうなんだろう。
シーズン1を見ていたころは、いつかアリセントが平和よりも勝利を選ぶときが来るに違いないと思い込んでいたけど、そんな日は来なかった。
アリセントは誰も犠牲にしたくないアリセントのままだった。
アリセントがレイニラに言った「一緒に来て」は、まさにその気持ちの表れではないか。
戦争が始まったら、アリセントの子どもたち、レイニラとその家族、罪なき民など、多くの犠牲が出るだろう。でもアリセントはそんなこと望まない。レイニラが一緒に逃げてくれればもしかしたら…。
レイニラが王都に潜入した時点でアリセントがこの計画を伝えられていたら、叶ったかもしれない。いやどうだろ。レイニラもレイニラで務めに忠実で、後継者としての義務を守ろうとしているし。
ところで、務めから自由になり、王都から離れた場所で名もなき市民として暮らすこと。これはかつて、婚姻相手を嫌々探していたレイニラにクリストンが提案したことではなかったか。
アリセントがもう少し早く自分の望みを認識してクリストンに話していたら、クリストンは全力で応えてくれたように思う。
あれやこれやの絶妙な手遅れの積み重ねは、シーズン2のおもしろいところだったなと思う。