上橋菜穂子『香君』感想。香りで万象を知る神と稲の国産ファンタジー
上橋菜穂子さんの『香君 上 西から来た少女』と『香君 下 遥かな道』の感想。
序盤こそ人名や地名、帝国の歴史、勢力図、役職などなど情報量が多くて読むのが大変でしたが、緻密に作り込まれた世界と丁寧な人間描写がすばらしく、とてもおもしろかったです。
魔法やモンスターが出てこないファンタジーのため、人知を越えた力で状況を打開することはありません。
そのぶん、知識を得て人と人が協力しあうという、人間ならではの強さが印象に残ります。
ちなみに、私がこれまでに読んだ上橋さんの作品は『獣の奏者』『精霊の守り人』『鹿の王』。
どれも人生のあり方を考えさせられる力強いシリーズですが、一番好きなのは今回読んだ『香君』です。
香りと植物が主軸の物語
『香君』のカギとなるのは、タイトルにもなっている香君とオアレ稲。
香君は香りで万象を知る活神で、人々が飢えて死に絶えようとしたとき、初代の香君が神郷からやって来てオアレ稲をもたらしたという。
香君は生まれ変わりを繰り返し、今もウマール帝国におり、人々の信仰の対象となっている。
オアレ稲は、どこでも育つ上に味もいいというスーパー穀物で、人々の生活の支えとなっている。
しかし、オアレ稲が特殊な理由はそれだけではない。
オアレ稲を植えた土ではほかの作物が育たなくなる、種籾はウマール帝国から与えられたものしか芽吹かない、といった特性があり、オアレ稲を作るということは帝国への隷属を受け入れることを意味する。
オアレ稲は単なる食糧ではなく、政治と密接に関わるものなのだ。
ウマール帝国の勢力拡大に利用されているのが、宗教でも軍事力でもなく稲という設定が独特で興味深い。
オアレ稲にも香君にも、人々に隠された秘密がある。
それらの秘密が徐々に明かされていく過程。
香君とオアレ稲に頼りすぎるのは危険ではないか、でも強大になりすぎた仕組みをどう変えていくのか、という試行錯誤。
そして厄災。
どれもこれも読み応えがありました。
主人公アイシャの魅力
主人公のアイシャは、人並み外れた嗅覚の持ち主。
植物の発する香りを感じ取ることができ、たとえば虫に喰われた草木の発する香りは、その虫の天敵を引き寄せている、といったことを理解することができる。
また、近くにいるのが誰なのか、見えなくても香りで判別でき、屋内であれば香りの濃淡で自分との距離が分かるのだという。
特殊な力を持つアイシャの怒濤の人生は、全編を通じての見どころ。
冒頭でいきなり絶体絶命の危機、そこから一変して、香君やオアレ稲に深く関わっていくのですが。
いい仲間に囲まれていても、アイシャの根底にあるのは孤独だというのが印象的でした。
香りは色や形があるわけではない。
言葉で説明することはできるけど、相手が自分と同じ香りを嗅いでいるのかは確かめようがない。
生命の無数の香りの中に生きるアイシャの世界は、ほかの人が感じる世界とはまったく違うもの。
誰にも理解されない感覚はアイシャを孤独にする一方で、自分にしかできないことを最大限に活かして他者の支えになろうという、アイシャの生き方の源になっています。
他人に分からない感覚を、あきらめて閉じこもるのではなく、懸命に言葉にして共有しようとするアイシャは、心の底から応援したくなるステキな主人公。
総じて大人びているアイシャですが、相手の話をよく聞く前にカッとなったり、自分の力を過信して大失敗したりと、未熟な面も抜かりなく描かれているのも好感が持てます。
アイシャに大きな影響を与えることになる当代の香君も、大変やさしく立派な人で、人間関係についてはストレスなく読めるのは『香君』の特徴かも。
(『獣の奏者』は長らく主人公が不憫だったし、『精霊の守り人』は皇子が…。まあ、皇子の成長物語が守り人シリーズ最大級の見どころなのだけど)
以下、ネタバレがそれなりにあります。
権威に依存する危険性
本作最大の山場は下巻で災害が起きるところなのですが、危機が間近に迫っているのに動こうとしない民衆がなんとも強烈でした。
この災害というのは蝗害で、異郷から飛んできたバッタがオアレ稲をまたたく間に食い尽くし、どんどん広がっていくというもの。
被害を受けていないオアレ稲もすべて焼却しなければバッタは止められない。しかも、二度とオアレ稲が作れなくなってしまう。
でも、被災地から離れた場所の領主たちの危機感は薄い。
被害を受けるかもしれないという不確かな情報で、収穫の近い稲を焼くことはできないと主張する。
その場で被害を受けた人と、遠くで状況だけ聞いた人の埋められない意識の差は、現在の国際情勢にも通ずるものがあるし、自分も目先の利益しか考えられない傾向なので耳が痛かったです。
バッタの被害を受けた人々の怒りは、信仰の対象である香君に向けられる。
日々こんなに祈って貢ぎ物も納めているのに、なぜ香君様は我々をこのような目に遭わせるのですかと。
でも当代の香君というのは、実在はしているものの、帝国が巧みに作り出した幻想なのである。
マシュウは「権威というのは互いの関係で成り立つ幻想だ」と言っていた。
AさんはBさんの顔を見るだけで萎縮して何でも言うことを聞いちゃうけど、CさんはBさんを見ても何とも思わない。だから権威とは2者の関係性で作られる、というような話。
そして権威ある者に頼っていればラクだし、自分の手に負えないことが起きたときは、権威のせいにしてしまえるのだと。
その一方で、別の人物(たぶんオリエ)はこう話していた。
神が見守っているのは人間だけではない。雨など、人にとっては災いでも、ほかの生き物にとっては恵みになることもある。だから人間にだけ都合のいい世界になることはない、と。
権威や信仰への依存は、自分で考えることを放棄し、違う立場の存在に対する想像力を失うことなのかもしれない。
主要なキャラクターはみんな考えがしっかりしていて、「なるほど」と思わせる場面が多々ありました。
変化する世界でどう生きるか
上橋さんの1つ前の長編シリーズ『鹿の王』は、感染症の原因究明や対処を通じて、人間という卑小な生き物がどう生き延びるかを追究する作品だったイメージです。
『香君』も、人間は自然を構成する一要素でしかない、という立ち位置は同じですが、本作の主題は変化する世界での生き方ではないかと思います。
アイシャは、人々が長年続けてきたオアレ稲に依存する生活、香君を神として祭る風習を変えようと尽力します。
絶対的な権威に頼ることは簡単な生き方かもしれない。
自分で考えなくていいし、責任を負わなくてもいい。問題が起きたら、決めた人を責めればいい。
統治する側も、民が何も知らないほうが支配に都合がいい。
でもそれは恐ろしいことで、外部から変化を迫られる事態が訪れたとき、人々は戸惑ったり迷ったりするばかりで、目先の利益しか考えず長期的な未来を考えることができない。
アイシャは、みんなが神の言葉ではなく自分で判断できるよう、自分の知り得たことを多くの人に伝えたいと語っていた。
人々が、自分の行動が何に繋がり、どんな結果をもたらすのか想像できるようにと。
知識や経験で起こりうることを予測し、最善の決断をできるようにと。
私たちの生きる世界も同じです。
自分の人生のことなのに、決断を周りに委ねてはいないか。
日常に甘んじて、自分で考えることを放棄していないか。
こうしたらどうなるだろうか、とか、違う立場だったらどうだろうかと、想像できるか。
突然の外部要因、たとえば自然災害や戦争で日常が非日常になったとき、自分で考えて生き延びられるか。他者を思いやることはできるか。
権威や信仰対象に依存しすぎず、分からないことは調べ、自分で考え決断し、他者と協力し、変化を恐れず生きていく。
それは孤独なことかもしれないけど、とても重要なことだと『香君』を読んで思いました。
(最近だとAIやSNSも依存対象かも、とふと思った)
『香君』、本当によかったので、ぜひ続編が出てほしい。
これはもうアイシャが誰かと愛を育み(ユギルあたり?)親になって子に自分の持つすべてを伝えるところまでが既定路線だと思いたい。
神郷オアレマヅラにも、いずれ旅しそう。
あと、アイシャの弟が予想以上に出番がなかったので、姉弟のシーンも今後読む機会があればなと。