【THE LAST OF US】なぜ互いを必要とするのか。シーズン1第8話感想
サバイバルアクションゲーム『The Last of Us(ラストオブアス)』の実写ドラマ『THE LAST OF US』の8話を見た感想。
ラストオブアス界最凶の男デビッドが登場する回でした。
ドラマのネタバレあり。
デビッドの狂気
デビッドはゲームでも不気味だったけれど、ドラマでも悪魔のようなヤバさが存分に発揮されていて見ごたえがあった。
デビッドの狂気3選:
- 口答えする者はたとえ子供でも人前で殴る
- 人肉を食べることに抵抗ゼロ
- 神の教えを説きながら自分は菌を崇拝している
住人のほうが私に従っているだけと言いつつ、意見されるのを嫌うデビッド。
相手が子供でも平気で殴る。
法が崩壊している世界とはいえ、子供への体罰に厳しいアメリカで、牧師のふりをしている人が子供を人前で殴れるのは狂気。
ジェームズがデビッドに何も言わないのは、おそらくデビッドの恐ろしさを知っているからなのだろう。
(ちなみに、ジェームズ役の人はゲーム版ジョエルやデスストのヒッグスの中の人)
食料が残りわずかな集団を支えていたのは人肉だった。
住人の多くはその事実を知らないし、父を亡くした少女も目の前の食事に使われているのが自分の父親の肉だとは知らない。
しかし、デビッドは何の肉が入っているのか承知の上で、平然と少女の前でその父親の肉を食べている。狂気。
デビッドの崇拝しているのは神ではなく菌。
牧師のように振る舞いながら、世界を混沌に陥れた菌を信じている。
菌のように子を養い育て増やし、暴力も辞さず守るのがデビッド流の愛だという。
そして、愛には恐れがないからレイプも怖がる必要ないよとエリーに言うイカれた思考の持ち主。狂気。
エリーの暴力性
今回はエリーの本性がよく現れた回だったなと思う。
まず、ここ数話で扱われた独りだと不安でたまらないところ。
インスリンをジョエルに打ったあとジョエルにぴったりくっついていたのは、不安と恐怖の反動ではないかな。
他人を簡単には信用できない世界で、たったひとりで知らない男性ふたりに対処するのは本当に怖かったと思う。
感染者の大群はどうにもならないけど、少数だと感染者より人間のほうが恐ろしいというのはこれまでたくさん見てきたわけなので。
そして、エリーの暴力性。
監禁され、心身を危険にさらされた怒りと不安と恐怖が爆発したのか、エリーは不必要なまでにデビッドをメッタ刺しにした。
一連のエリーの行動は、デビッドが見抜いたとおり賢く凶暴だった。
デビッドいわく、エリーの性質はデビッドと共通しているらしい。
たしかにシルバーレイクの住人と違って、エリーは自分で食べ物を調達する行動力があり、信仰に頼らず、デビッドの誘いにも乗らない。
頭の回転が速くハッタリもかませるエリーは、すべきことが分からない迷える人々を言葉巧みに導く素質があるかもしれない。
人への暴力を厭わず、敵対する者は徹底的に排除できるだろう(少女に手を出したり人肉を食べたりするかはさておき)。
エリーもカルト的なリーダーになれるのかもしれない。
でも、エリーにはジョエルがいるからそうはならないだろう。
なぜ互いを必要とするのか
傷ついたエリーを受け止めたのは、駆けつけたジョエルだった。
ゲームでもドラマでもジョエルは「baby girl」と言いながらエリーを抱きしめる。これが本当によい。何度見てもよい。
1話でジョエルはサラのことも「baby girl」と呼んでおり、つまりジョエルにとってエリーがサラと同じくらい大事な存在になっているということ。
「困っている時 神は与えてくださる」はシルバーレイクに掲げられていた言葉だが、ジョエルとエリーにとって、涙をぬぐってくれて、困ったときに与えてくれるのは、神ではなく目の前にいる大切な人なのだ。
もしエリーがデビッドに会ったときジョエルがそばにいたら、エリーは人を殺す必要なかったし、たとえ殺したとしてもデビッドにしたように何度も刺すことはしなかったはず。
同じように、エリーがそばにいないときのジョエルは容赦なく人を拷問し、用が済んだら殺す必要がなくても殺していた。
エリーとジョエルは、どちらも暴力的な一面を持つ。
しかし、ふたりは一緒にいることで暴力に歯止めがかかり、人間性を保つことができる。
そういった意味でも互いに必要な存在なのではないかと思う。
続き:【THE LAST OF US】時に物事はうまくいかない。シーズン1第9話感想