性差の境界は変わる。『オスとは何で、メスとは何か?「性スペクトラム」という最前線』感想
『オスとは何で、メスとは何か? 「性スペクトラム」という最前線』を読んだ感想。
オス・メスといった性別は対極に位置するものではなく連続する表現型であるという、性スペクトラムについて紹介している本です。
生物学的な性別の位置づけについて、いろいろな生物を例に学べて大変興味深い本でした。
本に書かれていること
本の内容はざっと以下のとおり。
- 性は2つの対立する極として捉えるのではなく、オスからメスへと連続する表現型として捉える(=性スペクトラム)
- 子孫を残すためメスに擬態する鳥、オスとメスを行ったり来たりする魚、オスよりメスが大きい生物、メスが群れを率いる生物など、オス・メスには多様な例がある
- ヒトもオス100%、メス100%だけでなく、オスには「オス 80%」や「オス 50%」、メスには「メス 80%」や「メス 40%」という立ち位置がある
- ヒトの性の立ち位置は第二次性徴や老年期などで変化し続ける。女性の場合は、月経周期や妊娠期間でも変化する。加齢に伴いヒトは脱オス化・脱メス化する
- 性はどうやって決まるのかの解説
- 細胞にも性があり、「遺伝的制御」と「内分泌制御」によって性差が制御されている
性は固定されたものではなく、柔軟に変化するという性質を持っているということが、生物学的な観点から書かれている。
性スペクトラムの考え方が興味深いだけでなく、シャチは閉経後のおばあさんシャチが群れを率いるとか、チョウチンアンコウはオスよりメスのほうが10倍大きくてオスがメスに食いつくとメスに吸収されてオスの精巣だけがメスの身体に残るとか、個々の生物の実例がかなりおもしろい。
ヒトの性自認や性指向については、著者が脳の専門家ではないこと、脳の理解がまだ進んでいないことから、少し触れられている程度(性分化疾患の原因のひとつとして性ホルモン受容体遺伝子に変異が起きることが挙げられている)。
生物学的な意味での性の多様性
性はオス100%とメス100%の両極ではなく、集団構造や年齢によって変化するもので、個体差もある。
それを踏まえれば社会はもっと豊かになるのではないか?
というのが本書のテーマ。
性の多様性が注目されるようになり、ステレオタイプな男女の性役割が時代遅れになりつつあるものの、社会的な性はどうしても個人の価値観がぶつかり合う。
一方で、生物学的な性は遺伝や性ホルモンの働きによって変化するものなので、個人の価値観が入る余地はなく説得力がある。
ヒトの性別も、男女といっても幅があるし、個体差もある。さらに同じ人でも年齢でオス度合い・メス度合いが変わっていくものだそう。
そうなると「男はこうである」「女はこうである」といった枠組みはあまり意味を成さない。
どの生物にも個体差があり、その個体の状態は時間とともに変わっていくものだ、という理解が広まることは、多様な人々のあり方を認める社会につながるのではないかと思う。
子孫を残さない生命の存在意義は?
性スペクトラムの話からは逸れるが、本書を読んでふと思ったことを。
本の中で印象的だったのは、ほとんどの生物は生殖可能な年齢を超えたら死ぬ、という部分。
ヒトは子孫を残せなくなっても生き残れる数少ない例外のひとつなのだそう。
生命は子孫を残すことで繁栄してきたわけなので、この世に生きるあらゆる生命の生きる意味は子孫を残すことにあると言える。
生殖機能がありながら子を産み育てる願望がない私は、ヒトという種としての存在意義はゼロなのだろうなと思う。
しかし人間には自我があり、現代は生殖を目的としない性行動が可能で、子孫を残すか残さないかは個人の意思に委ねられる。
子を作らないからといって排除されることはなく、生きる意味は自分で考えればいい。
各々がどう生きるかを自由に考えられる社会であることは、多少の生きづらさがあってもありがたいものかもしれない。
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