【エルデンリング】ファルム・アズラのベルナールと竜王プラキドサクス(プレイ日記33)
フロムゲー初心者が『エルデンリング』のクリアを目指すプレイ日記その33。
今回はファルム・アズラのベルナールと竜王プラキドサクスについてです。
ネタバレあります。
ベルナールの侵入
崩れゆくファルム・アズラの祝福「大橋梁の脇」から進んで、ボス部屋ではない方向に行き、古き王のタリスマンを手に入れようと思ったら背律者ベルナールに侵入される。
が、タリスマンのある宝箱に近づきすぎて獣人×3とベルナールの計4人に襲われるはめに。
勝てるわけないだろ。
なんで獣人はベルナールに反応しないわけ?
オロオロしていたらあっという間に死去したので、今度は落ち着いて進んでベルナールと再戦。
ベルナールは強いけど、リーチが短いので回復しやすいのが助かる。
冒涜の爪
ベルナールを倒すと、冒涜の爪、世界喰らいの王笏、獣集い装備を入手。
冒涜の爪は、死のルーンの片鱗が刻まれた岩片。
黒き剣の力を逸らすことができるもので、陰謀の夜にライカードがラニからの謝礼としてもらい受けたものだという。
つまりライカードは、ラニが二本指の操り人形になりたくなかったこと、そしてラニが死のルーンを盗んで自分の肉体とゴッドウィンの魂を殺す計画を立てていたことを知っていたと(どこまで知っていたかは謎)。
まあ確かに、火山館の考え方を聞いた感じでは、ライカードがラニに協力していても不思議はないというか。
2人が兄妹だからというだけでなく、二本指や祝福への不信をはっきり示していたのはラニとライカードだけだし。たぶん。
そしてライカードの冒涜のとき、すなわち黄金樹に弓引くときには死のルーンが必要で、そのためには死のルーンを封印しているマリケスを倒さねばならない。
だからラニは、その切り札になる冒涜の爪をライカードに渡していたのだろう。
疑問なのは、ライカードの持ち物である冒涜の爪や世界喰らいの王笏をなぜベルナールさんがお持ちで? ということ。
褪せ人がライカードを倒したあとにベルナールが火山館を漁ったのだろうか。
ベルナールのこと
獣集いの鎧のテキストも実に興味深い。
ベルナールは王たる英雄に相応しかったが、ベルナールの巫女が火に身を投げたことで背律者に転じたらしい。
ファルム・アズラにいる時点でただ者じゃないわけだけど、ベルナールがファルム・アズラに来られるのはベルナールの巫女がメリナのように種火になったからなのか?
(じゃあアレキサンダーはどうやってファルム・アズラに…。あ、自分で種火に…?)
そうだとして、ベルナールの巫女が火に身投げしても釜の火は燃えず、黄金樹に火はつかなかったのだよね?
世界樹を焼けるのは火の幻視を宿す特別な種火だけとエンヤが話していたから、普通の指巫女が火の釜に行っても意味がなかったとか?
エルデの王となるために祝福の導きに従って火の釜まで行って、ずっと一緒に旅をしてきた巫女が燃えて、それで何も起きなかったのなら、ベルナールが黄金樹を信じられなくなったのも無理はない。
あとは、ベルナールに大いなる意志を潰す決意をさせた旧友の遺志の詳細を知りたいところ。
それにしても、ベルナールはなぜ褪せ人を襲ってきたのか。
ファルム・アズラと王都ローディルで共闘しているし、目的は同じ死のルーンなのに。
褪せ人がエルデンリングを修復してエルデの王になろうとしているのがバレていたのかな。
ファルム・アズラに来るのがどういう褪せ人か、当然ベルナールには分かっているはず。
黄金樹に弓引く背律者として、それを狩らないという選択はありえないのだと思う。
竜王プラキドサクス
ファルム・アズラで竜王プラキドサクスを倒してきた。
こんな場所に行けるとは、という衝撃。
ファルム・アズラの中心地で、何らかの理屈で時空を超えた先の、崩れていないファルム・アズラで戦うファルム・アズラの王、プラキドサクス。
黄金樹より前の時代のエルデの王で、神の帰還を待ち続けたという。
2本の頭が屹立する姿は、大いなる意志と交信を続ける二本指を彷彿とさせる。
一方で、翼と身体を丸めた姿は心臓のようにも見える。
場所的にファルム・アズラの中心部だし。
肝心の戦闘はというと、祝福から行きにくい、ターゲットを固定するとカメラの移動が激しすぎる、戦闘中のボスのワープが多いなど、なかなかストレスフルだった。
霊体はラティナが優秀極まりなかったけど、プラキドサクスが飛んだあとラティナ方面に着陸してラティナが3秒で溶けたときは悲鳴。
何度かの挑戦で勝てたからいいけど、実際のところはプラキドサクスにやられた回数よりも、祝福からボスエリアに向かうときに転落死した回数のほうが多いかもしれない。
古き王のタリスマンのテキストを読むと、プラキドサクスはもともと頭が4本だそうで。
プラキドサクスの身体にはいたるところに欠損が見られたので、褪せ人が戦ったときは完全体とは程遠かったに違いない。
全盛期のビームはどれほど強かったのだろう。