【FF14】暁月のフィナーレ感想③ Lv86~87メインクエスト
『ファイナルファンタジーXIV:暁月のフィナーレ』のメインクエストを終えたので、旅路を振り返りながら感想をまとめました。
今回はLv87メインクエストまでの感想ですが、あとになって分かることにも触れているので、
メインクエストの最後までのネタバレがあります。
このあたりのクエストは驚きの連続で、私がいかに驚いたかは別記事「Lv86~87メインクエストのプレイ記録」にまとめたので、本記事では何がどうして印象に残ったかを取り上げました。
Lv86メインクエスト
とりあえず、エリディブスがエルピスで冒険者に会ったという伏線がノーマルレイドに続くとは思わなかった。
アゼムの魂という強力バフ
冒険者の魂は元十四人委員会アゼム由来である。
このことに対して私が思ったことを、エルピスに行く前と行ったあとで比較するとこうなる。
エルピスに行く前の私 → 「冒険者って古代人のなんかすごい人と同じ魂らしい。やっぱり生まれながらに特別な力があったのか、よく分からんけど」
エルピスに行ったときの私 → 「え? アゼムと同じ魂の色ってだけでヒュトロダエウスが仲良くしてくれてエメトセルクが面倒見てくれるの? しかもヴェーネス様がアゼムの師匠なの? アゼムの魂万歳!」
アゼムの魂はとんでもなく強力なバフでござる。
そもそも冒険者の魂がアゼム色じゃなかったら、冒険者はエルピスの入口でヒュトロダエウスに関心を持たれることはなく、エルピスで何もできず、ヴェーネスに会うこともなく、終末の原因をつかむこともなく、アーテリスは古代時代の終末で滅んでいるなと思う。
死が哀しいものではない世界
古代人にとって死とは哀しいものではないようだ。
死は「星に還る」と表現され、星を善くすることで人々の幸せに貢献した者が、己の役目を果たしたと思ったときに自らが選択するものなのだという。
死ぬことは誇るべきことで美しいというのが古代人の一般的な感覚で、そこに哀しみや絶望はない。
また、創造生物に対しては人の利益になるかどうかが重視され、人の役に立たないものは「また創ればいい」ものとして処分される。
古代では喪失に哀しむことがないし、その感覚は理解されない。
だから古代に咲くエルピスの花は、常に純白をまとっている。
死が哀しいものではない世界。そりゃあ完璧で古代人が取り戻したくなるのも分かる。
冒険者とヘルメス
やり遂げたからと死ぬ必要はあるのか、星を善くしなければ生きてはいけないのか、と古代人の当たり前の感覚に違和感を抱いているのがヘルメス。
周りにおかしいと伝えたくても、おかしいのは自分のほうではないかと思い悩むヘルメスに、冒険者はエルピスの花を哀しみの色に染めて見せた。
冒険者はヘルメスが初めて出会ったであろう、この世界に哀しみや苦しみがあることを知る者だった。
メーティオンが懐いていた時点でヘルメスは冒険者に親しみを感じていたようだが、エルピスの花のことでいっそう冒険者に信頼を寄せるようになったように思う。
だからこそヘルメスは、ただの使い魔でしかない(ということになっていた)冒険者に対しマスクを外して胸のうちを明かし、メーティオンたちが別の星の生きる意味を探索していることを話したのだ。
そしてヒュペルボレア造物院でカイロスを起動させたヘルメスは、「君には謝ることさえできない」と冒険者に謝れなかったことを悔やんでいる。
驚いたのは、その未練がアイティオン星晶鏡にいたアモンの口から出てきたこと。
冒険者は当時エルピスで哀しみを理解していた唯一の人物で、未来で起きた世界の終末を止める手がかりを求めてエルピスにやって来た。
しかし、ヘルメスがメーティオンを逃がしたことが終末の引き金となり、加えてヘルメスは冒険者も含めたその場にいた全員の記憶を改変しようとした。
結果として冒険者を裏切る形になったことを、ヘルメスはひどく悔やんだのだなと思うとやるせない。
と同時にこうも思う。
ヘルメスは生きる意味を宇宙に求めるのではなく、ヴェーネスのように旅に出るか、創造生物に食べ物を摂取させる研究でもしてメーティオンと一緒に砂糖どばどばのリンゴを食べながら「創造生物が食べる幸せを知ることが自分の生きる意味だ」と悟りを開けばよかったのに!
まあ、それはそれで古代人が滅んだのだろうけど。
Lv87メインクエスト
FFとは関係ない話ですが、エメトセルク役の高橋広樹さんといえば私の中では『シャドウハーツII』のウルなのです。名作なのにPS2パッケージ版しか存在しないのが残念すぎる。
Lv87ID
「暁月のフィナーレ」のダンジョンのうち、ヒュペルボレア造物院だけはフェイスで行ったのだけど、DPSで参加したので特別おもしろいことはなかったというか(あとフェイスと忍者の相性がよろしくない)。
こういう特殊なフェイスこそ、スタンス外してどこまで進めるか選手権やヒールなしの持久走大会といったしょうもない遊びをしたくなるのに、私の場合肝心のタンクとヒーラーのレベルが足りない。
ということで、タンクとヒーラーのレベルが87になったらまたやるかもしれない。
イベントシーン
ID後のカットシーンを初めて見たときは、「なんかものすごいことが起きてる」とただただ圧倒された。
ざっくりまとめると、
メーティオンを通じてほかの星に生きる意味を聞いてみました
↓
どの星にも生きることには絶望しかなかったのでアーテリスの苦しみも終わらせてあげますと言われました
↓
エメトセルクが私たちの終わりを勝手に決めることは許さないと反発しました
↓
ヘルメスがそれは人が今まで無意識にほかの生命に強いていたことだと反論しました
↓
ヘルメスが自分を含むその場にいた人の記憶をカイロスで改変して、冒険者からの情報を一切なかったことにしてゼロから終わりに抗うことを望みました
という感じか。
すごすぎて、ちょっと前は平和にアンビストマを追いかけていたのが信じられない。
生きる意味の答えを自分で出せなかったヘルメスが「人が生きるに足る存在なら終わりは退けられるだろう」とか言うものだから、今度は世界に質問を丸投げするのかと突っ込みたくはなった。
そして冒険者がエルピスを離れたときに流れるカットシーン。
古代で終末が起き、ヴェーネスが世界を14分割したことが映像として出てきて、「この世界はこういうふうにできました」という神話を見る感覚だった。
古代に咲くエルピスの花のように白かったヴェーネスのローブがどんどん黒く染まっていく。
その一方で水晶色の瞳はくもることなく光り、ヴェーネスがまっすぐ前を向いて歩き続ける。
これが星を守るために世界を変えた人の姿なのだと衝撃を受けたのに加え、このヴェーネスを見たことがあとでハイデリンと対面するときに効いてくるのだなと思った。
終わりは美しい
終焉ですこんにちはのシーンを見返して「あ」と思ったのは、終焉さんも古代人も「終わりは美しい」と表現している点。
終焉さんは何もしなくても死ぬのは合理的で美しいと語り、
古代人はやり遂げて死ぬのは美しいと語る。
物語の中で生きる意味が大きく問われている中、何もしないで死んでも、一生懸命に役目を果たして死んでも、どちらも美しいことだというセリフがあるのが興味深い。
「死があなたの優しい隣人になる」という言葉がラスボス後のイベントに出てきたけど、終わりは美しく優しいというのがFF14のメッセージの1つなのかも。
リンゴとヘビ
私の勝手な想像だけど、ヘルメスの好物が砂糖どばどばのリンゴなのは、『創世記』の禁断の果実から来ている?
(禁断の果実がリンゴかどうかは諸説あるが、ここではリンゴということで)
アダムとイヴはヘビにそそのかされて禁断の果実を食べ、楽園を追放され、死ぬ運命と苦難を与えられた。
古代人も楽園を失い、寿命や数々の困難とともに生きることになったところが似ている。
ヘビはヘルメスの杖を装飾する要素でもあるが、あの杖のデザインはギリシア神話の神ヘルメスの持っている杖カドゥケウスから来ていると思われる。
ヒュペルボレア造物院で手に入るミニオンもカドゥケウスというヘビ。
ミニオンのカドゥケウスは、説明文によるとヘルメスが飼育していた創造生物ということらしい。
ニョロニョロ動いたり舌をペロリと出したりしてかわいい。
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